2016/06/25 第10回 長谷川太郎氏(元Jリーガー)『セカンドキャリアの本質「ワクワク+貢献」』(中編)

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理事長の小村をホスト役とした企画「対談すごトーク」。第10回目となるゲストは、元Jリーガーの長谷川太郎さんです。
※前編は[こちら]から

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■カズから学んだ「良い習慣」と「捉え方」

小村:引退を覚悟していた時にオファーをいただいたのですね。まだ一年間やらせていただけるという心境になり、引退を撤回し新天地の横浜FCと契約された理由はなんだったのでしょうか。

長谷川:カズ(三浦知良)さんとプレーをしてみたかったというのが一番の理由です。横浜FCでは運営部長を務めていた百瀬俊介さんとも出会えました。百瀬さんには今でも良き兄貴分としてアドバイスをくださり、背中を押してくれる存在です。

小村:百瀬俊介さんは日本人として初めてメキシコでプレーをされた方ですね。三浦知良選手と今でもグアムキャンプに一緒に行かれたりと親交されていらっしゃいますが、どのように親交を育まれていったのですか。

長谷川:カズさんとはグアムで初めてお会いしたのですが、会った時のオーラがハンパなくて。オーラって本当にあるんだなという衝撃でした。最初にチームが始動する時に合宿などでも誰と一緒にご飯を食べるか決まっていくんですね。私は速攻カズさんのところに行って「ここいいですか」と座って食べました。二人一組の練習などもペアになっていただいたりとか積極的に絡んでいくにつれ、かわいがられるようになりました。カズさんから今日一緒に走ろうぜと声をかけてもらえるようになっていきました。

小村:多くの選手がそのオーラーのすごさに近づくことを躊躇されると思いますが、積極的だったのですね。

長谷川:今教えている子供たちにも伝えていますが、やはり成功者にはガツガツ行って技術など盗めるものは盗んでいくという姿勢が大切であると思います。何が違うんだろうを感じてもらいたいんですね。私もカズさんとは何が違うんだろうを知りたかったのです。

小村:三浦知良選手から学んだこと、自分との違いは見つけられましたか。

長谷川:「良い習慣」と「捉え方」ですね。カズさんの一日は良いサイクルで動かれています。良い習慣をずっと続けていたら人よりも良くなることの見本です。例えば9時半からの練習の時、カズさんは8時くらいにクラブハウスに来ます。そこで私はカズさんよりも必ずちょっとでも早く行くことを習慣づけることから始めました。カズさんが1時間半前に来るならば、自分は1時間40分前に着くようにする。必ずカズさんより前に準備をするというのを心がけて取り組みました。しかし自分に弱いところがあるので、例えばお酒を飲んだ次の日とかめげそうになります。そんな時に、カズさんがやっているのだからと律することができました。

小村:野球のイチロー選手もそうですが、ルーティンワークというか、良い習慣を継続し続けることは大事なのですね。

長谷川:そうです。そして「捉え方」です。サッカーの為に全て物事を考えることです。サッカーをやっていない時間の方が長いですので、プライベートの時でも「サッカーの為」と自分自身へプラスに思えるかということです。同じようにサッカーの時でも「監督がちゃんとしてくれないから失敗した」とか、「俺はできるのに、あの人のせいでうまくいかなかった」と、誰かに責任をなすりつけるのではなく、「他人はともかく、自分のここがダメだった」と考える人になることということです。自分が出来が良かった試合でも必ず反省点はあり、活躍の余韻に浸っても振り返るとミスがあったと悔しさが沸いてくる。しっかり前向きに反省できる人間は強くなる。カズさんからは「人のため」であると同時に「自分のため」、それがプロであると教わりました。私は失敗すると引きずってしまうタイプでしたので、このアドバイスによって捉え方を変えることができ、今でも教訓としています。

小村:素晴らしい学びがあったのですね。しかし、三浦知良選手と一緒のチームにいられたのは一年間だけでした。

長谷川:横浜FCでは本当に良い出会いをさせていただいた年でしたが、選手としては結果を出せずアウト(戦力外)になりました。一か月くらい無職でした。この時に二回目となるトライアウトを受けることになります。しかし、受けた後にどこからも連絡が来ず。ずっとどうしようと。口癖が「どうしよう」でした(笑) この時は待つしかなかったです。リアルな話し、一か月仕事がなくこの先もわからないで待つ状況は本当に辛いです。

小村:しかし、一か月待ってオファーがあったのですね。2010年からJリーグ加盟が承認されギラヴァンツ北九州となる前身のニューウェーブ北九州に2009年入団します。

長谷川:これもドラマがありまして、今だから言えるのですが、北九州の監督であったジョージ与那城監督との逸話です。私は練習生として入りました。練習試合3試合で7得点を取り普通であれば入団できる条件をクリアしていたのですが、監督は頑なに首を縦に振ってくれません。チームメイトからは必要な選手だと言ってもらえ、シーズン前の最後の鳥栖との練習試合では、チームメイトが私に積極的にパスを出して協力してくれました。そのお蔭で得点することができ入団することができたのです。同じポジションを争うことになるライバルのチームメイトも喜んでくれました。

小村:さすがに監督も活躍を認めてくれたのですね。

長谷川:それがまだ続きがありまして、シーズン最初は試合に出してもらえませんでした。悔しさと認めてもらいたい一心で、試合後に行われる控え選手の練習が終わった後もひたすらシュート練習を続けていました。今思えばチームの中ではキャリアがある方であった私が、監督がつくってこられたチームにうまく適応するために貪欲となるための試練を与えていたのかと思います。すぐに入団しすぐに試合に出ていたら、チームワークの重要性や監督の考えに気付かなかったかもしれません。

小村:初心に戻る「試合に出たい飢え」のようながむしゃらな姿を監督は見てくれていたのですね。

長谷川:そうかもしれません。シーズン3試合目に試合に出場させてもらえ、その試合で点数を取りました。そこから9ゴール立て続けに取りました。このような経緯で監督は私に信頼をしてくれるようになりました。ある意味しつこさが私にはありました(笑) ただ9ゴール後は怪我をしてしまったのですが・・・。

【2009年 NW北九州 長谷川太郎全ゴール】

<Youtubeより>

小村:チームメイトの人たちが協力をしてくれて入団に至ったわけですが、長谷川さんの人柄なんでしょうかね。

長谷川:北九州のメンバーが良かったところもあるのですが、後々言われたことは、自分からズケズケ入ってきたところのようです(笑)
チームで行う体操やジョギングなど全て前に行ったのです。普通練習生は後ろの方で控えめにするんだと思うのですが、私は前に行きました。それがチームメンバーからは「コイツは本当にサッカーやりたいのか」「コイツは本当にこのチームに入りたいんだな」と感じてくれたようです。

小村:前に行くという姿勢はどなたからかアドバイスをされたのですか?

長谷川:横浜FCに呼んでくれたフィジカルコーチで、レイソルのユース時代の恩師でもある谷真一郎さんからの教えです。「必ずプロは上手いだけではダメだ。アピールしなければいけない」とずっと言ってくれました。少しでもピッチに入るとか、声を出すとか、特に練習生など自分の立ち位置が低い時は積極的に動くと決めていました。人よりも前にはカズさんもそうですよね。自分の見せ方やアピールはすごく考えてやりました。

小村:他にも考えてとった行動はありましたか?

長谷川:2011年に移籍した浦安JSC(SC浦安を経て現 ブリオベッカ浦安)の時もそうでしたが、難しい方を選んできましたね。これはどっちにしようと思った時に、これ上手くいったらかっこ良いという方を意識して選びました。浦安の時も地域リーグからJリーグに昇格することができたらという思いがあり浦安を移籍先に選びました。

■難しい方への選択

小村:北九州に2年在籍し、トライアウトを受けて浦安に入団したということですか。

長谷川:厳密に言うと、トライアウトを受けたのですがどこからもオファーをいただけず、タイに行きました。このトライアウトも通算3回目です。なかなか3回もトライアウトを受ける選手はいないですよね。しつこい性格なんですよ。

小村:浦安に入る前にタイに行っているんですね。

長谷川:最初にバンコク・ユナイテッドFCから話をいただきタイに行ったのですが、シンガポールからも話があり、一端バンコクを断り、シンガポールに行きました。海外のプレーは初めてですので単純に治安が良いのと、シンガポールが提示してきた金額の条件が破格だったのですね。1日で契約をとることができ、契約書を見てみると、その破格だと思っていた金額が、USAドルではなく、シンガポールドルだったのです。レートを見たら勝手に思い込んでいた金額よりも半額以下で、これでは生活ができないと思い断ったのです。再びタイに戻って交渉を再開したのですが、その時には枠が埋まってしまっていました。他の国でのプレーの選択肢もありましたが、やはりJリーグでプレーしたい気持ちが強く、そのためには日本にいないといけないと思い帰ってきたのです。

小村:浦安のチームへの入団のきっかけを教えてください。

長谷川:カズさんの一言ですね。海外ではなく日本でプレーをすることを決めて戻ってきたものの、Jリーグチームにも入れず、またタイのチームに最初から入っていれば良かったと後悔や、海外でまだ挑戦をした方が良かったのかという未練もあり、踏ん切りがついていませんでした。そんな時にカズさんから「サッカーはどこに行ってもサッカーだから」という言葉をいただきました。こころに響いて感動しました。今までも難しい方を選んでサッカーをやってきたじゃないかと胸の高鳴りがあり浦安に入団したのです。県リーグから泥臭くてもJリーグを目指すサッカーも良いと踏ん切りがついたのです。

小村:2011年に浦安に入団され千葉県社会人サッカーリーグ1部優勝、関東社会人サッカー大会優勝をし、2012年関東リーグ2部に昇格。2013年千葉県サッカー選手権大会で優勝し、天皇杯に初出場、関東サッカーリーグ2部優勝。2014年に関東サッカーリーグ1部昇格。まさに長谷川さんが所属していた時はJリーグへの階段を一歩ずつ登っていました。その後のチームは2015年にブリオベッカ浦安とクラブ名を変更し、JFL昇格条件の2位を確保し、2016年からJFL昇格を決めています。

長谷川:土のグラウンドで泥まみれになりながらプレーをしていました。子供の頃を思い出す環境でプレーをしましたね(笑)

小村:北九州まではJ2でプレーをされていたわけです。浦安は県リーグです。Jリーグに昇格させたいという志しや三浦知良選手の言葉があったにせよ、選手としてのプライドとか、世間の目とかは気にならなかったのでしょうか。

長谷川:私は天邪鬼(あまのじゃく)なんですよね。難しい方を選ぶというのは人から予想されるのが嫌だというのもあるかもしれません。浦安に行ったのはJリーグに昇格させたいという気持ちで飛び込みましたが、人から県リーグに行ってそのまま長くやって終わるんだなとも思われたくない自分がいたのですね。ですから最後にインドに行っているのですが、もう一つ難しい方で行動して終わりたい。それは達成するとワクワクする方に進みたいという理由です。

小村:これはインドからオファーがあったのですか?

長谷川:特に決まったチームはありませんでした。とにかく最後は海外でプレーをして終えたいという気持ちで飛び出しました。チームに入れる根拠のない自信があったのです。

小村:チームからオファーがあったわけではない中で、何でインドを選ばれたのですか?

長谷川:最初からインドではなく、海外のチームでやり切ろうという気持ちで、まず一度行ったことがあるタイに行ったのです。ただ浦安の試合が年末まであったことで動くのが遅く、既にタイで枠がなく、練習する場所もありませんでした。でも行ったんだから楽しもうと思い、色々動きつつも時間もあったので、タイ式マッサージの免許を取得してしまいました(笑)

小村:何も決まっていない中、タイに行かれ、自分で交渉をしたのですか?

長谷川:タイはチームの事務所に行きプロフィールを渡して交渉をしました。そのようなことをしている時に、知り合いのエージェントからインドのチームはどうかと誘われ、インドに行ったというのが経緯です。

小村:インドリーグ1部のモハメダンというチームに入団されます。これがキャリア最後のチームとなるわけです。

長谷川:インドでは3か月間で11試合に出場(3得点)、現役最後の試合で点数を取って終えることができました。まだできるんじゃないかと言ってくれた人もいたのですが、自分の中ではやり切っており、もうこれでサッカー選手は終わりなんだという気持ちでした。

小村:現役時代に大切にしていたことは何でしたか。

長谷川:5つあります。「ワクワク」「自ら決断しチャレンジする」「あきらめない」「感謝」「大変=大きく変わるチャンス⇒成長」です。この中でも大変だという時には、大きく変わるチャンスと思い続けてやっていました。
ある引退する選手がもう少しやっておけば良かったなという一言を漏らしていて、それを聞いた時に、私は最後はやり切って終わりたいと思っていました。

小村:サッカー人生を振り返ってどうですか。

長谷川:私はサッカーで生かされてきましたし、サッカーで育てられてきました。私は本当に人に恵まれてきましたので、最後に感謝の気持ちを伝える場を作りたいと思いました。その輪が広がりクラウドファンディングやスポンサーの方々のお力、仲間たちのお蔭で舞浜のグラウンドを借りて引退試合を行わせていただきました。浦安レジェンド対TAROフレンズで2500人の応援の中で終えることができました。

小村:これでサッカー選手としては踏ん切りがついたわけですね。

長谷川:最初はそうでしたね。ただ途中から何もやることがないと、サッカーがやりたいという気持ちに戻ってきてしまうんですよね。「オレはサッカーしかないんだな」とか。本当に世の中に適応できていない現実を知っていくと価値がない人間なんだなと思っていってしまうんですよね。サッカーはワクワクでやっていました。それが自然と人に貢献していたり、人に元気を与えることができました。私の中にサッカーがなくなった時に、何もできない自分に気づくんです。

小村:いよいよ引退後のセカンドキャリアの話となっていきます。

<[後編]へ続く>

◆プロフィール◆
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長谷川太郎(はせがわ・たろう)
1998年柏レイソルU-18からトップチームに昇格。翌年、ナビスコカップ優勝に貢献。2002年アルビレックス新潟を経て、2003年ヴァンフォーレ甲府に移籍。J2日本人得点王となりJ1昇格の立役者となる。2007年徳島ヴォルティス、2008年 横浜FC、2009年ニューウェーブ北九州(現・ギラヴァンツ北九州)、2011年浦安JSC/SC浦安(現・ブリオベッカ浦安)でプレーした。2014年インド・Iリーグ1部のモハメダンSCを最後に現役引退。引退後は2015年LB-BRB TOKYOでプレーイングコーチを務める。また一般社団法人TREを発足し代表。【TRE2030 Striker Project】は「2030年 みんなで育てよう! W杯得点王」をミッションに、ゴールを通じて、決断力・覚悟・責任感を養い、世界に通用する選手を育成する活動を行っている。
HP : http://www.tre2030.com/

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