2016/06/15 第9回 山家正尚氏(スポーツメンタルコーチ)『キーワードは「ワクワク」』(前編)

理事長の小村をホスト役とした企画「対談すごトーク」。第9回目となるゲストは、スポーツメンタルコーチの山家正尚さんです。

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■夢は実現する事例

小村:ソチ五輪女子アイスホッケー日本代表(スマイルジャパン)や数多くのアスリートや経営者のメンタルコーチを務めている山家正尚さんにお越しいただきました。山家さんとは10数年前に出会って以来、私とは人生の節目節目で関わらせていただいている大事な方であり、今の私の人脈構築の源であったと言っても過言ではない人物です。そんな昔話も含めながら、山家さんのキャリアや山家さんがやられている事柄、考え方、アドバイスをいただいていきたいと思います。よろしくお願いします。まずはメンタルコーチになる動機からお話をいただけますでしょうか。

山家:よろしくお願いします。元々は商社で営業をやっていました。その時にアイスホッケーチームを教えていました。多い時は5チーム100人以上を教えていました。子供たちが喜んでくれて、どんどん変わって成長している姿を見ていた時に、もっと喜んでもらえるのであればもっと伸ばせないだろうかと思いました。たまたまインターネットで「コーチング」を検索していたら、ビジネス上でコーチングというのが存在することを知りました。そのコーチングの中身をみていくと、まさに「これはオレの仕事だ」と思ったのです。インターネットを見ながらマウスを持つ手が震えるくらいの衝撃を今でも覚えています。それが2001年の9月でした。

小村:その時はおいくつだったのですか?

山家:35歳だったかな。見ていたサイトはコーチを育成している「コーチ21」というHPでした。これは本当に自分の仕事だと思い、「オレ以外に誰がやるんだ」というくらいの感覚でした。すぐにでも受講したい気持ちであったのですが受講料の兼ね合いもありボーナスの時期まで待っていたのです。しかし、どんどん気持ちが盛り上がっていました。そんな折、臨時収入を得る機会があり、これはすぐに勉強するためだと思い申し込みました。カリキュラムは3年間あるのですが最短でいくと1年7ヶ月で卒業ができます。最短を目指そうと取り組み達成しました。5000人の中の最短記録保持者として表彰されたのです。

小村:コーチングとの衝撃的な出会いから、最短記録での修得。すごいですね。勉強をされていた時にどのように修得後のイメージを持っていたのでしょうか。

山家:その時から、プロのコーチとして独立したいと思っていました。お客さんは会社の経営者とプロの選手をやりたいと思っていました。影響力もあるし、支払い能力もあるからですね。と偉そうにターゲットを決めてやっていましたが、最初はビビりながらやっていましたよ。会社の経営者は偉い人たちですし、プロの選手たちにまともに口が聞けるかなという感じでした。

小村:山家さんでも最初はビビりながら行っていたのですね。志は高くですが現実的なことに直面すると不安も出ます。それを払拭して会社を設立します。

山家:2002年の1月から勉強をしだして、2004年の4月からプロコーチジャパンとして独立(事業登録は5月1日)をしました。会社の法人化は2006年7月7日に設立です。2年間個人事業主でやっていたのですが、法人契約をする際に法人でないと契約ができないということがあったため法人化しました。

小村:ちょうど法人化して10周年ですね。おめでとうございます。ちなみに私との出会いは法人化される前でしたね。コーチが集まる講演会の会場でした。

山家:コーチの集まりである日本コーチ協会神奈川チャプターの講演会で高畑好秀さんが来られた時ですね。私が目指している領域の人だなと思い参加しました。

小村:100人くらいのコーチが集まった講演会に、私の師匠である高畑好秀が呼ばれ、私が助手でついていった時でしたね。講演の中で私も体験型チームビルディングや話をしましたが、山家さんが積極的に取り組んでいただき、その後の飲み会でお話をさせていただいたのを覚えています。2003年当時はまだ日本にメンタルやコーチングが入ってきたばかりの時期で世の中に普及しておらず、メンタルトレーニングの先駆的存在であった高畑が普及活動の一環で色々なところで講演活動をしていました。私も一番弟子の助手として参加をしていました。講演会後の名刺交換にしても多くの方々は高畑につながりたく、助手の私のところ来る人はいないわけで、来ても私を経由して高畑につながりたい人ばかりでした。そんな中、山家さんだけは違いました。高畑ではなく私に矢印が向いたアプローチをいただきました。既に私は当時、高畑の下で3年間丁稚奉公をしていた時期で、今後の方向性に悩んでいた時でした。あの時のことを覚えていらっしゃいますか? 私も山家さんの電話セッションの練習役をさせていただきながら相談にのっていただき高畑から独立をしました。

山家:病んでいる感じは確かにありましたね。私も勉強している最中でしたし、ちょうどNLPを学んでいた時でした。何か私がお役にたてるなというのもあったのですね。

小村:私の人生の分岐点でもあったわけですのでとても有り難かったですね。メンタルコーチとして今までも様々な選手をサポートしてきていますが、初期の頃はどういう方々をみられていたのですか?

山家:初期の頃はカヌーの日本代表選手や空手家、お相撲さんでした。バトミントンやバトントワリングの選手もいて優勝のサポートもできました。

小村:ちょうど山家さんと出会って半年後に、広島に一緒に行きましたね。広島カープの3軍選手全員と面談しました。

山家:3軍選手9人と1人30分面談させてもらい、その中で、廣瀬純選手の反応が良く。その時にアンカリングという手法を使ったのですが、大汗かきながら真剣にやってくださって、怪我も治る寸前で復帰も近かったため、廣瀬選手からメンタルをやらせてくださいと言われ契約が始まりました。2軍に復帰したら5割1分くらい打ったのですね。一か月もしないうちに一軍に召集されました。そこからのご縁で今でも継続させていただいています。

小村:当時私が何人かカープの選手のメンタルトレーナーをやっており、3軍コーチをしていた山内泰幸コーチとのご縁で機会をいただきました。その場に廣瀬選手がいたのに驚きました。廣瀬選手とは同じ大学の同級生で六大学野球三冠王やシドニー五輪日本代表と活躍していた姿を見てきていました。何で3軍にいるのという感じでした。その廣瀬選手が山家さんと繋がれた。

山家:廣瀬選手本人が欲しているし、意志が強かったですね。

小村:10年間同じトレーナーでやり続けるというのは珍しいパターンですよね。相当な信頼関係がなければですね。このご縁をきっかけに、オールスター出場、ゴールデングラブ賞、イチロー選手も達成できなかった15打席連続出塁の日本記録を達成されました。廣瀬さんとの思い出ある逸話はありますか?

山家:2010年のオールスター選出の逸話ですね。その年は成績も良く推薦されるだろうと思っていました。私も票を集める手伝いをしていました。しかし結果は2位で落選してしまいました。監督推薦もダメでした。最後の選手間投票でも2位でした。この時、結果としては選ばれませんでしたが、応援してくださった仲間たちに感謝を込めてグッズにサインをしてプレゼントしようとなり、それらを受け取って持ち帰った翌日の昼前に、廣瀬さんから電話で「山家さんやりました! 栗原選手が辞退したので僕になりました」という出来事がありましたね。本当に、意志を持ってそれを手に入れたいと強い思いを持っていると夢を実現するという逸話です。

小村:その夢を実現すると言えば、総合格闘家の大山峻護選手もそうですよね。伝説のピーターアーツ戦の逸話を教えてください。

山家:2005年7月から大山さんのメンタルコーチになりました。どうなりたいのかという彼のイメージを引き出すことをやっていました。大山さんは「K-1 Dynamite」に出たいと言っていて、やりたい選手は当時最強であったピーターアーツ。足関節で秒殺して勝って、コーナーに上がって雄たけびをあげて、トロフィーにキスをする。そういう具体的なイメージがありました。このイメージを語ったのが7,8月でしたが、その言っていたイメージがそのまま現実に起こったのです。

小村:2005年12月31日に「K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!」でピーターアーツと闘ったことですね。

山家:本当にあれは私の夢でないかと思うくらい、言っていたことが本当にそのまま起こった出来事でした。

小村:そもそも7,8月に大山さんがイメージしていた段階では、ピーターアーツと闘うことも決まっていませんでしたよね。

山家:そうなのです。これも面白くて、当時は大山さんは総合格闘家で、ピーターアーツは立ち技打撃系のK-1選手でした。なくはないのですがマッチメイクされるケースも少ないのです。しかし彼はそれをイメージしてずっと練習をしていたのです。だいたい3か月前くらいに誰と誰が試合をするというマッチメイクがされるのですが何も話はなく、1か月前にも彼にオファーの連絡も入らずでした。彼は12月31日の試合に向けて12月1日から沖縄に合宿に行くのです。マッチメイクされていないのにですよ。1か月前に試合が組まれていないのだから試合はないんじゃないかと普通は思うのですが、彼は試合が組まれることを信じて「K-1に出たいので準備だけはきっちりやっていきます」と合宿をするのです。そしたら試合11日前にオファーがきたのです。「ピーターアーツとやることになりました」と聞いて、「えー」ってなりましたよ。

小村:確かピーターアーツと対戦予定であった選手が放棄したことによってマッチメイクされたというミラクルだったのですよね。

山家:そういう裏事情もあってマッチメイクされたというビックリな状況でしたが、それ以上にビックリしたのが彼がずっと思い描いていたことがそのまま現実になったことです。

小村:先ほどの一連のイメージですね。

山家:彼の理想状態を徹底的にリアルに引き出していました。感覚的、感情的なものと組み合わせて、ウキウキワクワクする状態をつくって、それをインストールしていくわけです。本当にそのことが起こってしまった例なのです。先にも言いましたが、大山さんはK-1 Dynamiteにまず出たい、ピーターアーツとやりたい、足関節で秒殺したい、勝った後にコーナーに上がって雄たけびをあげたい、そしてトロフィーにキスをしたい、その後にリングに皆を集めて写真を撮りたい。そのイメージがそのまま現実になったのです。


<「YouTube」より>

■成長する上でのコツ

山家:小村さんからはプロ野球選手のご紹介をしていただいて、大山さんは中央大学の柔道部の監督をされていた方からのご紹介でした。今のご縁を繋がせていただいています。

小村:大山さんとは山家さんの紹介で、2006年頃、HERO’Sに参戦していた時に少しだけ関わらせていただきました。

山家:座禅とか行きましたね。

小村:初めてお会いした時は北鎌倉の葉祥明美術館に行き、近くのお店でメンタルやらせていただいた時でしたね。もう10年前ですね。10年前は山家さんといろいろな方々を通して連携をさせていただいていました。当時、私はインナーヒューマンセラピストという名称を名乗り姓名判断などもやっていましたので、広島カープで言えば小島心二郎選手を山家さん経由で紹介いただき、彼の登録名を本名の紳二郎から「心二郎」にしました。同じように当時井筒部屋にいた力士の鶴櫻さんの四股名を「憲樹健心」と名付けさせてもらったり。その流れで行けばテコンドーでオリンピックメダリストの岡本依子さんとのご縁もそうですね。

山家:鶴櫻さんの断髪式に一緒に出席しましたね。

小村:どのくらい切っていいのか悩みましたね(笑) 後はアメリカンフットボールのアサヒビール・シルバースターのマネージャーの吉田勝光さん。全日本代表のマネージャーも務めた方ですが、吉田さんとのご縁で、当時選手であり現在はレピュコムジャパン社長の秦英之さんとご縁が繋がっています。これらのご縁は今でも繋がっており、またその方々から新しいご縁をいただいています。人脈の源を振り返ってみますと、原点は山家さんでした。

山家:いえいえ。

小村:人脈の原点を構築してくださった山家さんですが、私の人生の節目節目の時に必ず山家さんがいらっしゃいました。特に毎回連絡をとっているわけでもないのですが、私の人生のターニングポイントで必ず接触しアドバイスをいただいてきました。師匠である高畑から独立をする時、メンタルトレーナーを辞して教育者に転身した時、昨年のすごラボ起ち上げの時もでしたね。このすごトーク第一回目のゲストも山家さんで、本日はすごラボ一周年記念でもあります。

山家:人が成長する上でコツがあります。今の自分の世界観を変えずにみんな行動する。行動することで成長できると思っています。行動することは確かに必要なのだけど、一番大事なことは「上に成長する」こと、上に行動することなのです。今の環境でずっと続けながら行動しても、人間的な成長や世界観は全く変わりません。上に変えていくというのは、自分の周波数を変えること。自分が見るものや出入りするもの、持ち物全て変えていく。

小村:確かに山家さんの助言で上に成長させてもらっています。認知科学でいう「抽象度」、視点を高く持つ大事さですね。

山家:私は一介のサラリーマンをしていたのですが、サラリーマンの世界観ってあるじゃない。でもプロのコーチの世界観もあります。プロのコーチであれば着ているものはどういうものか、身に付けているものは、髪型は、立ち居振る舞いは、持ち物、家はどんな感じか、自分が思っているプロのコーチのイメージに全部変えていきました。持ち物全てが周波数・エネルギーを発しています。今までと同じサラリーマンのエネルギーで生きている限りは、周波数が変わらないから、世界が変わりません。だけど、私はプロのコーチだと周波数を上げればプロのコーチの目線で物事が見えるようになる。そうすると、その周波数の元で世界が作られていきます。いくら行動して努力をしても、元が上に高まらない限り人間的な成長や世界が変わらないのです。「やればいいじゃん」と言った私の言葉をきっかけに、小村さんは実際に新しい環境を作ったというのは、すごい上への成長なんですね。

小村:確かに現実を考えると今の現状を辞めて新しい環境を作るというのは、普通に考えるとかなり躊躇するところなのですが、私の人生の分岐点で山家さんが発する言霊に反応してしまう自分もいますね。良い機会ですので、私やすごラボの未来の課題をアドバイスいただけますか。

山家:小村さんに遠慮があることです。もっと純粋に遠慮せずにやれば本当に素晴らしい世界をもっと作れます。小村さんの役割は人と人を繋げる使命を持っている。その使命があるのだけど、まだ自分への純粋さが足りない。お金をいただくことにもっと純粋になれば良い。お金もエネルギーだから、そのエネルギーも使って人々をより輝かせることにコミットできる。純粋にそれができるようになれば変われるわけですよ。既に一年で本当に素晴らしい環境を作られている。何かの執着を手放す勇気が課題ですね。

小村:おっしゃる通りですね。本質を突かれています(笑) 課題に向き合っていきたいと思います。このように的確に課題を見つけ出せるのも、上に成長するエネルギーにしていくことだと思います。上に成長させるため、すぐに出来る方法とか教えていただけますか。

山家:一番簡単なのは今の自分の状態を上から写真を撮ってみればいいのです。携帯のカメラでいいので、自分の姿を上の角度から撮ってもらってみてください。その自分が写った画像を見て、「この人に必要なことは何だと思う?」「もっとどうしたらいいと思う?」と自分に投げかけて考えてみてください。これをやり続けるというのが周波数を上げる簡単な方法です。

小村:なるほど。自分の画像を通して客観的に見るということですね。

山家:今の自分の頭で考えるのではなくて、一歩上の段階から見て、自分を俯瞰した状態で見てあげること。「私」ではなく、「今、この人に必要なことは何だろう?」と投げかけるのがポイントです。「もっとこうした方がいいのに」と出てきます。そして、そのことに対して人間は「でも、こうだよな」という疑念を抱きます。その疑念を排除し、「こうした方がいいのに」というのを純粋にやっていくだけなのです。そうすることで世界が変わっていきます。これが成功を導きやすい方法です。

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■天職を見つけ出すヒント

小村:どうしても天職を見つけようとすると、今まで経験してきたことだけでの判断になってしまうので固定観念になってしまいます。今やっている仕事を極めることで天職になる人もいますが、山家さんがコーチングという天職を得ることができたように「これだ!」という、胸がときめく天職に出会う方法はありますでしょうか。

山家:私はときめきを感覚で感じられる人だったので掴みやすかったのだと思うのです。天職を見つけ出すヒントがあります。過去の出来事を振り返ってみてワクワクした出来事は何だろう? 時間を忘れてでも没頭してきた出来事は何だろう? 10個くらい小さい頃から振り返ってみて書き出してみてください。

小村:ワクワクな10の出来事ですね。

山家:私の小さい頃は皆を集めて野球の練習をするのが好きだった。そのような中で仲間たちが成長する姿を見るのが好きでした。そして後輩をかわいがる性格で、自分を差し置いてでも伸ばしてあげたいというのが大好きでした。社会人になった時も後輩が入ってきたらその人のトレーナーになりたくて仕方がなかった。この人を成長させたいという強い思いがあった。アイスホッケーを教え始めた時も指導者に向いていると感じ、寝る間も惜しんでやっていました。こういうときめきがあった出来事が過去に幾つもありました。それを分析すると、どうやら自分は「人と関わって人が成長していくことにワクワクを感じる」というキーワードがあることに気付きます。過去の出来事で自分のワクワクの共通項を探していくとう方法です。

小村:自分の性格や過去の経緯を振り返ってワクワクの共通項を探すのですね。

山家:もう一つ方法があります。今現在、自分の理想の人を10人くらいピックアップしていくのです。理想的な人で、この人良いなと思う人の名前と、その人のどういうところが良いのかをピックアップします。例えば私であれば、スポーツメンタルトレーナーの第一人者である白石豊先生は大好きですね。学術的で現場にも出て選手へメンタルトレーニングをしています。そうやってピックアップしていくと、私は10人中9人が「先生」と呼ばれる人たちでした。そこで出てくるヒントというのが、私は「先生」と呼ばれる人になりたい。「先生」というのはどうやら人と関わって人を成長させる人だ。そこでもまた共通項だったわけです。それって自分の魂が欲していることなんだよね。

小村:自分の理想の人が自分の魂が欲している理想像に近いということですね。

山家:自己分析というのは自分がワクワクするかなんですよね。いろんなテストをやっていても表面的には頭の思考でやってしまうからね。前にもこれやったよなという思考でやってしまうと意味がないのです。自分のワクワクするものと結びついているかどうかが重要なのです。

小村:私も教え子に喜びの価値観を探させたりしますが、ワクワクすることとはイコールですね。ワクワクするという言葉が実に単純明快でいいですね。
<後編へ続く>

◆プロフィール◆

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山家正尚(やまや・まさなお)
北海道出身。株式会社プロコーチジャパン代表・国際コーチ連盟プロフェッショナル認定コーチ (ICF-PCC)・国際コーチ連盟 (ICF) 正会員・NLPマスタープラクティショナー
対話によるコーチング技法をベースに、NLP、心理学、ヨーガ療法、気功等を使い、 古閑美保(元ツアープロゴルファー)、菊池雄星(埼玉西武ライオンズ)、廣瀬純(広島東洋カープ)、大山峻護(総合格闘家)など数多くのアスリートを指導。ソチ五輪アイスホッケー女子日本代表のメンタルコーチを務めた。著書に『オリンピック選手メンタルコーチの奥義 <ソウルリーディング>』 [Kindle版]。
※対談すごトークで登場する選手等の逸話はご本人に許可を得ています。

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