2016/05/05 第2回 山本康太氏(日本ブラインドサッカー協会) 『障がい者への見方を変える ブラインドサッカー』(前編)

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理事長の小村をホスト役とした企画・「対談すごトーク」。第2回目となるゲストは、NPO法人日本ブラインドサッカー協会(JBFA)の山本康太(やまもと・こうた)さんです。

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■ブラインドサッカーって?

小村:本日の「対談すごトーク」のゲストはNPO法人日本ブラインドサッカー協会(以下、協会)の山本康太さんです。以前、私の教え子が日本ブラインドサッカー協会のスタッフをしており、そのご縁で山本さんと知り合いになりました。その後は、セミナーや大会運営実習などでお世話になっています。本日はブラインドサッカーについてお聞きしつつ、山本さんご自身のキャリアや近くで携わっているからこそ知りえるお話などお聞きできればと思います。よろしくお願いします。さっそくですが、名前は聞いたことがあっても、ブラインドサッカーとはどのような競技なのか知らない人もいると思いますので、競技説明から教えていただけますか。

山本:よろしくお願いします。ブラインドサッカーとは視覚障がい者と健常者が混ざり合ってプレーするサッカーです。キーパーは弱視者か晴眼者が行い、フィールドプレーヤーはアイマスクをしてプレーします。見えない状態でプレーをするので、幾つかルールが工夫されています。転がると音が出る特殊なボールを使ったり、ゴールの後ろにガイド(コーラー)がいたりします。全体を見て指示をする監督もいます。目が見えるキーパー、ガイド、監督の3人がフィールドプレーヤーに指示を出します。プレーヤー同士も見えない中でコミュニケーションを取りながらゴールを奪っていくという競技です。2004年からパラリンピックの競技となりました。

小村:いきなり素朴な質問をしたいのですが、ブラインドサッカーの選手たちはどのようなきっかけでブラインドサッカーに出会うのでしょうか?

山本:今でこそメディアを通じて競技を知って本人がやりたいと希望してくる人も出てきていますが、グラスルーツ活動として協会から普通学校と盲学校に定期的に視覚障がい児向けの活動案内のDMを送っていて、それで知る人が多いですね。というのも、視覚障がい者のスポーツで接触プレーがあるものはほとんどありません。盲学校の体育の授業ではブラインドサッカーは行っておらず、ゴールもないため、盲学校での普及が進んでいないのです。そのため、なかなか日常で接する機会がなく、協会として視覚障がい者のプレーヤー発掘を目的として夏に1泊2日の「ブラックロック・ブラサカキッズキャンプ」やブラインドサッカーに特化した練習会「SMBC日興証券ブラサカ・キッズトレーニング」を開催し、接する機会を作っています。

小村:視覚障がい者スポーツと言えば、ゴールボールやブラインドテニス、グランドソフトボール、フロアバレーボール、サウンドテーブルテニス、ブラインドゴルフなどたくさんありますが、確かに接触プレーがない競技ばかりですね。接触プレーがあると危ないという意味で盲学校では取り入れられていないのでしょうね。

山本:ブラインドサッカーは危険というイメージを持たれますが、実際は怪我の発生率は健常者のサッカーと変わりません。ただ、理由はそれだけではなく、実は競技自体が日本に入ってきたのが2001年で、協会が発足したのが2002年とまだ若い団体でして、競技そのものの歴史が浅くブラインドサッカーを教えられる指導者が十分に育っていないというのも理由のひとつです。NPO法人化されたのもつい最近で、2015年10月27日です。

小村:そうでしたか、昔からあるイメージでした。2002年に協会が発足し、2015年のNPO化まで13年間の歴史ですが、現在のブラインドサッカーはどのように発展されていますか。

山本:現在の競技者数は約450名です。ブラインドサッカーは全国を3つのブロックに分け、北日本リーグ、東日本リーグ、西日本リーグを開催しています。アイマスクをつけて行う全盲クラスのブラインドサッカーチームと、ロービジョンフットサルという弱視クラスのチームが参加しています。事務局は常勤スタッフが私を含め4名、社会人のボランティアスタッフや学生インターンを含めたコアスタッフが約20名、組織全体としては全国で約70名が活動に参加してくださっています。

小村:世界のブラインドサッカーの歴史も浅いのでしょうか。

山本:サッカーが強い国では生活のなかで健常者と一緒に普通にボールを蹴っていたようですが、ブラインドサッカー自体のスタートは1980年代初頭で、スペインでルールがしっかりと統一されました。

小村:日本には女子選手はいるのですか。

山本:何人かいて、現在は男子選手と一緒に交じってプレーしています。女子だけのチームはまだないです。ただ女子選手から女子だけでやりたいという声はあがっていて、その声を受けて協会では女子練習会を2,3か月に一回実施しています。

小村:先ほど怪我の発生率は健常者のサッカーと変わらないとのことですが、やはり目が見えない者同士がサッカーをすることは、ぶつかったりと危ないですし、アクシデントや怪我もあろうかと思います。単純にアメフトのように、プロテクターを着用してプレーをするという話しは出ないのですか?

山本:フェイスガードやマウスピースの話はでます。ただ、国際ルールではそういう規定はないですし、世界レベルになると接触をあまりしないのです。トレーニングを積んでトップレベルになればなるほど相手の位置を細かく把握しています。ボールを取りに行くときに「ボイ」という声を出さなければならないのですが、相手に自分の位置を知られないために、ギリギリ限界まで声を出さないなどといった駆け引きもあります。そのくらいのレベルでプレーしているためトップには器具は必要ないのです。

■ブラインドサッカーにどっぷり浸かるきっかけとなった言葉

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(写真提供:NPO法人日本ブラインドサッカー協会)

小村:山本さんがブラインドサッカーに携わろうと思ったきっかけは何でしたか?

山本:ブラインドサッカーとの出会いは、2005年の大学生の時でした。日本にサッカー文化を根付かせるという理念で活動するサッカー団体「infinity」に所属し、実際サッカーをやったり、サポーターとしてゴール裏で応援に行ったり、イベント運営をしたり、色んなサッカーの楽しみ方を伝えていこうと活動をしていました。その活動をしている中で、ブラインドサッカー、電動車椅子サッカー、知的障がい者サッカーといったような「障がい者サッカー」を知り、実際に現場に足を運び見に行き、これは面白いと思いました。以降、大会運営を手伝い、日本代表の応援を始めました。

小村:大学生の時の活動でブラインドサッカーを知りサポートを始めたのですね。その後、ブラインドサッカーのチームを起ち上げたということですが、このきかっけはどうしてでしょうか。

山本:いろいろな活動をする中で、選手たちと仲良くなりました。大きなきっかけは、ブラインドサッカー日本代表の落合啓士(おちあい・ひろし)選手から地元の横浜にチームを起ち上げようと誘われたことです。「buen cambio yokohama」(ブエンカンビオ ヨコハマ)というチームを起ち上げました。当初はメンバーもいないので、大会に出場するために、私自身も選手として出場をしていました。

小村:山本さんご自身も選手としてブラインドサッカーをしていたのですね。目が見える人もアイマスクを着用すれば健常者でも大会に参加できるのですね。

山本:国内では健常者でもフィールドプレーヤーとして試合に参加できますが、国際試合には参加できません。

小村:視覚障がい者と健常者のプレーヤーで何か違いはありますか。

山本:日本代表クラスになると別格にはなりますが、一般的には健常者でサッカーをしっかりやってきている人は、ボールを持てば比較的プレーはできます。ただ、ボールが足元におさまればいいのですが、トラップができないのです。健常者は視覚からボールを見て、ボールを足元におさめるのですが、目が見えないと、30センチ、50センチの誤差がどうしても埋まらない。逆に視覚障がい者の人はもともと生活面でそう言う状態に慣れているから、ボールをおさめるのが上手いです。ルーズボールに対して普通によーいドンで行くと、ボールをすぐにとられてしまいます。ピッチでは健常者と視覚障がい者が一緒にプレーしますが、その違いというか、特性を活かしながらポディションや戦術を考えたりしますね。

小村:プレー以外で、生活のなかで何か感じたり驚いたりしたことはありますか?

山本:よく旅行をする視覚障がい者の仲間がいるのですが、見えないのに旅行をして何が楽しいのかと聞いたことがあります。そしたら、「同じものは見えないけど、同じ気持ちにはなれる」と返事が返ってきました。風や匂いを感じたり、相手が話す言葉の中身やトーンから多くのことを感じることができる。そういう情報からイメージが膨らんでいき、同じように楽しむことができると言われたときに、衝撃を受けました。「なるほど、何も気にする必要なんてないんだ!」と心底思った瞬間でした。

小村:なるほど。普段接するなかで感じることもあるのですね。山本さんは、多方面からブラインドサッカーに携わっていますが、その魅力とはなんでしょうか。

山本:プレーヤー目線ではありますが、ブラインドサッカーという競技に挑む覚悟が本当にすごいなと思います。実は私は練習中に接触して鼻を折ったことがあります。その時もちろん心配する声もあったのですが、周りのメンバーから「やっとブラインドサッカーの選手っぽくなったね」と言われたんですよ。それすごいなと思って。普通サッカーで骨折したら大丈夫と心配の声が先だったりすると思うのですけども、鼻を骨折しているのに、それが当たり前のごとく言われたのが衝撃的で、こんな世界で選手たちはプレーしているのかと、背筋が凍りました。この激しさ、競技に挑む覚悟、楽しさをもっとしっかり伝えていきたいと思ったのが、ブラインドサッカーにどっぷり浸かることになった大きなきっかけのひとつです。

小村:プレーヤー自身がブラインドサッカーという競技に立ち向かっていくというのが素晴らしい。目が見えない中で競技をするという姿勢ですね。最初はサポートから入り、チームを起ち上げ選手としても活動し、その後、協会スタッフへと転身していくわけですが、そのあたりのお話を聞かせてください。

山本:チーム運営や競技活動以外にも、地元横浜のJクラブと連携するなど地域で普及活動を行っていました。そんな中、協会の事務局長から「同じ思いで活動をしているなら、協会で一緒にやらないか」と声をかけてもらったのがきっかけで、転職しました。
(⇒後編へ続く)
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◆プロフィール◆
山本康太(やまもと・こうた)
NPO法人 日本ブラインドサッカー協会(JBFA) 事務管理部 広報チーム マネージャー
1983年生まれ、神奈川県横浜市出身。グロービス経営大学院卒。
2006年凸版印刷株式会社へ入社し、情報コミュニケーション分野の営業職・企画職を経て、2013年より現職。広報、販促、資金調達、大会運営、企業研修、出張授業等を行っている。
ブラインドサッカーとは2005年学生時代に出会い、大会運営ボランティア、日本代表サポーターとして携わる。2010年地元横浜にブラインドサッカークラブ「ブエンカンビオ横浜」を立ち上げ、競技活動と普及活動を続ける。

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