2016/05/01 第1回 安達元気氏(元レーシングドライバー)『モータースポーツの裏側』(後編)

理事長の小村をホスト役とした企画・「対談すごトーク」。第1回目となるゲストは、元レーシングドライバーの安達元気(あだち・まさき)さんです。

⇒前編は[こちら]から

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■『マネジメント活動の重要性』

小村:安達さんはスポンサー探しで自らが営業マンとして会社回りをしていたと聞いていますが、その時の逸話を教えてください。

安達:企業としてはもちろん自社利益が最優先ですので通常は話も聞いてもらえないことが多かったですね。企画書だけでもと言うのですが、「ウチにはそんな余裕がありません、結構です」と冷たくあしらわれラチがあかなかったです。企業の立場としては当たり前なことだと思います。そこで考えたことは、今考えるととても失礼なのですが、直接、その会社にアポなしで乗り込みました。いきなり行ってレースやっているので金くださいと言うわけなので失礼なのですが、その「失礼だな」と思う人のことよりも「すごい心意義だな」と買ってくれる人を見つけたかったのです。時にはいきなり行って、「社長さんいますか」と言ったりしました。単純に決定権を持っているのが社長さんですから、社長さんにさえこの情熱が伝わればという気持ちでした。だから、社長さんいますかの言葉に対して、お前のようなヤツは帰れと言われるかもしれないけど、社長さんに会えるかどうかの方がよっぽど私にとって重要で、そういうところがどうやればできるのかを強く考えていました。

小村:飛び込み営業を自らされていたとはすごいですね。なかなかアスリート自らが飛び込むことは珍しいですよね。

安達:マイナースポーツ界はみんなそうだと思うのですよね。競技でお金がもらえるメジャースポーツの選手がこういうことを考えることはほとんどないと思うのです。なので、メジャースポーツの選手のインタビュー映像などを見て、全然ファンやスポンサーへ配慮ができない姿を見ると、正直憤りを感じることがすごくあります。モータースポーツは私の体ひとつではできなく、お金もかかります。ですから私は、スポンサー様・ファンの皆様、そういう人たちに支えられてやらせていただいているという気持ちが強く、コメントは当然に「今日は応援ありがとうございました」と感謝の言葉から入っていました。

小村:飛び込み営業での経験話をもう少しお聞かせください。実際の反応はどうでしたか

安達:私がいたようなレーサーとしての底辺カテゴリで、「お金をください」「私に投資してください」と言っても、会社にとって正直メリットは少ないと思うのです。だから、私に投資をすることで何が会社としてメリットになるのか、をものすごく考えました。マシンへのステッカーはもちろん、社内報でコラムを書くとか、社員の方々が喜ぶことなども考えました。

小村:私に投資をした方が良いというアピールポイントは何でしたか

安達:本音で言うと、私から企業のメリットを考えて、全力でスポンサー様のために貢献するつもりで行動していましたが、実際にビジネスにどれだけ貢献できたかはわかりません。もしかするとスポンサー様も承知のうえで人間性と情熱を買って頂いた部分もあるのではないかと思います。そういう意味では形としてはいろいろ言うのですが、最終的には意志決定ができる社長に会って訴えるしかなかった。人間対人間。可能性を感じてもらえるかどうか。他の人よりも気持ちは強いという気持ちでやっていました。最終的には熱意だったと思います。

小村:直接顔を合わせて熱意を伝える。まさにハート勝負ですね。スポンサー獲得以外にも認知度を高めるための活動やイベントも行なってきたと思いますが、どのようなことをされてきましたか?

安達:地元のテレビ、ラジオ、情報誌にも多数出演させてもらいましたが、実は向こうから来た話しではなく、ほぼ自分から営業を仕掛けました。一般の方がレーサーと触れ合う機会もないと思うので、自分をネタにして使ってもらえませんかとアプローチをしました。大型商業施設でのイベントも、自ら交渉し、自分でMCを探し、レースクイーンも友人で、レーシングカーを借りてきて、経費は自分持ちで実施しました。少しでも知ってもらいたいという思いでしたね。お世話になったスポンサーや支援していただいた方々を呼んで、ホテルを貸し切り、一年の報告会を自ら主催で実施もしました。

■『行動力+感謝=自己プロデュース力』

小村:それにしても、なりたいことになるための動き方、行動力というか自己プロデュース力が素晴らしいですね。自分で勝手に制限を設けてしまい動かない、動けない人が多い中で、安達さんは自分がレーサーとして活動するための取り組むスタンスがすごいですね。

安達:それはかなり意識してやってきたことですので、そう感じていただいたことはありがたいです。私の環境やスタートが遅かったのと、恵まれたエリート的なことでもなかったので、とにかく人がやらないことを意識して取り組んできました。誰もやっていないことは一歩足を踏み出すことは大きなことで、もしかしたら失敗しちゃうのではと不安やリスクをとることが多いですけど、行かないと見えないものもいっぱいあって、最初の一歩って、その後の10歩でも大事なことだとすごく思ってやっていました。失うものがないから飛び込み営業ができたと思います。それを感じていただいたことは嬉しいですね。

小村:アスリートの中には試合で結果を出せばいいじゃないかという人もいて、プレー以外の面で努力をしなくてもよい環境の人もいます。お金も考えなくてももらえている人もいます。そういう恵まれない環境だからこそ飛び込み営業までして努力されたのだと思います。レーサーの環境もわかっていたとも思います。そこまでして行動に移された動機といいますか、何か心に宿していたことはあったのですか?

安達:いつも心にあったのは、18歳の時、父親にレーサーになると告げた時に言われた言葉でした。幸い私は怪我もなく引退しましたが、始める際にはレースは死ぬかもしれないと色々な人たちから言われる中で、父に言われたのは、次のようなことです。

「俺は今日お前が出ていくこの日から、お前を死んだと思う。だから、帰ってくるなら、親に恥ずかしいと思えるような姿で絶対に帰ってくるな。とにかく、自分がやれること全てやりきった、それでダメで帰ってくるなら、それはわかる。お前がすごく努力して頑張った結果であるならそれは認める。だけど、まだ自分はもっとできたとか、まだやれるけど辛いから辞めたとかであるなら、そんな軽い気持ちでやるなら帰ってくるな。俺はお前を死んだと思うから、軽い気持ちでやるんじゃない」

この父からの言葉が常に自分の心にあり、自分の火が消えそうになった時に燃やしてくれたんです。

小村:覚悟を決めて自分が選んだ進む道に言い訳せずに突き進めという、なかなか言えそうで言えない言葉ですよね。特に身近な身内はなかなか言えないですよ。

安達:父は安定した暮らしから脱サラして、自分の人生だからと新潟でペンション経営を始めこともあり、だから、子供たちにも自分のやりたい道を見つけなさい。自分の人生は納得できるまで邁進しなさいという指導でした。母は何も言いませんでしたが、賛成というより心配だったとは思います。しかしレーサーとしての活動は応援してくれました。

小村:ご家族の心強い支えですね。そのお父様からの言葉を受け、レーサーとして活動をしてこられたわけですが、引退する時も来ました。引退の動機を教えてください。

安達:リーマンショックの煽りを受け、ホンダやトヨタなど大手メーカーが相次いでF1などのモータースポーツから撤退をし、私がより上のクラスにステップアップするための新規スポンサー獲得にもいよいよ逆風が強まったことで引退を決意しました。引退する際の気持ちとしては、もっと上を目指したいとか、もっとできるという気持ちはもちろんあったのですが、純粋にドライバーとして上にいけないという気持ちではなく、乗ることのお金を作ることができないから乗れないという現実。その時、ここまで全てやりきってきた、これ以上打つ手はないなと思えたし、ここまでやりきってこれたのが、私の実力。お金もそうだし、レース、走ることに対してもそう。そこで惹きつけるものが見つけられなかったのも実力だなと思ったので、正直、後悔はなかったです。

小村:体力面や技術面での限界ではなく、資金的な面での限界が引退の動機だったということですか?

安達:そうですね。例えば、芸能人がレーサーをやることもありますが、運転技術的なところが劣っていたとしても、露出効果が高いから企業がお金を出資してくれます。それもひとつの才能だと思います。私はトータルに考えて実力がなかったなと思ったのです。マイナー競技は全てそうだと思いますが、技術やスキルだけではなく、それに見合った魅力も大事です。トータル的にトップであって本物です。人生的な経験としてはとても良かったと思い悔いはないです。お金では得られない経験やいろいろな人たちが支えてくれた人のつながり、そういうことを感じられるというのは、私が普通に生活していたらなかったので、そういうものを得られたのは非常に満足でした。レーサーだったからこそ得ることができた人とのつながりは人生の財産ですね。今は経験を活かして、ブリヂストンでテストドライバーとして良いタイヤ作り、それで社会に貢献していくことが皆さんへの恩返しかなと思っています。

小村:一般的な競技スポーツとは違い、モータースポーツ界の本音を聴けました。最後にモータースポーツという枠ではなく、大きな枠として、スポーツ業界を目指している若い人にメッセージをお願いできますか

安達:アントニオ猪木さんの「バカになれ」という言葉が大好きで、バカと天才は紙一重だなと本当に思って、バカにならないと一流になれないと思うのですよね。この人はバカじゃないのと言われるくらい、人が考え付かないことや誰もやれないことをやる人じゃないと一流になれないと思うので、とにかく周りからバカだと言われようが何だろうが、自分が信じるものは全てやりきってほしいなと思います。

小村:まさにそうですね。成功している人たちを見ると「人とズレてて、ブレていない人」ですからね。同じことをやっていてもその中での土俵での戦いになってしまう。キャリアやスキルではそれがある人には勝てない。ちょっとした違う観点で攻め、一貫性を持ってやっている人は強いですね。貴重なお話ありがとうございました。

安達:最初に思考すると足が止まってしまいますが、夢をかなえるためにがむしゃらに動くことは、当たり前の行動です。選手として頑張る、うまい強いは当たり前で、そういう中だからこそ、人に感謝できるか、意識を持って、周りの人たちも楽しませていけるかどうか、そのような活動が理想的な姿だと思います。ありがとうございました。

<了>

★余談★ -身近でサポートをしていた元気氏の兄の安達岳夫氏の言葉-

レーサーを支えているファンを代表して、モータースポーツの醍醐味は、サーキットでの爆音とか振動を体感できることです。これは刺激的です。それと同時に、応援している選手がいると、気持ちも一体になれます。レースの世界は場合によっては一回でも失敗するとおしまいなので最後まで手に汗握るハラハラ感があります。

またテレビでレースを見ている時にクラッシュする車を見ても「やっちゃったなぁ」で終わりますが、弟がたまに少しでもクラッシュや故障をすると、相当に重大な事態につながるので息が止まりそうになっていました。そのレースで結果も出せない上、今後のステップアップや夢が遠のくことに直接繋がりますし、経済的にも「ああ、何十万円かかる」ということにもなります。

全てのドライバーが多かれ少なかれ、こういった舞台裏を抱えてレースに臨んでいますので、エキサイティングで観客を熱狂させるのだと思っています。

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Profile
安達元気(あだち・まさき)
1983年3月10日、新潟県生まれ。幼稚園から車が好きで、将来の夢はレーサー。18歳で高校を卒業後、すぐに免許も持たない中で、レーシングチームのオーディションを受け、練習生となる。2003年にFJ-1600デビュー。2004年 FJ-1600日本一決定戦で史上初の前人未到28台抜きを達成し、2004年度優秀ドライバー賞受賞。2005年度F-4日本シリーズ参戦(6戦中5回入賞)。2006年度F-4シリーズ参戦(4戦中2位3回)、F-4日本一決定戦3位。2007年度フォーミュラトヨタにスポット参戦。2008年度スーパー耐久シリーズ ST-4クラス参戦。2011年より株式会社ブリヂストンのテストドライバー。

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