2016/12/30 第14回 藤田豊氏『Jリーガーから10の会社を起ち上げた実業家へ ~オブリガードの軌跡~』(後編)

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理事長の小村をホスト役とした企画「対談すごトーク」。第14回目となるゲストは、元Jリーガ―で、現在はNPO法人オブリガードサッカークラブ代表の藤田 豊さんです。
前編は⇒[こちら]から

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■細かければ細かいほど夢は実現する

小村:若い時にはどうしても自分のことしか見られない中、今までの話で、藤田さんは自分を俯瞰してみることが出来るように感じます。なぜ俯瞰する見方が出来ていたのでしょうか。

藤田:それは私には大きな夢があったからなのです。基本的に皆さんも夢をお持ちだと思うのですが、私のように「プロサッカー選手になりたい」とか、「ワールドカップに出場したい」とか何でもいいのです。ただ夢は「明確化」が大事です。細かければ細かいほど夢は実現します。あれってまさしくその通りで、ピッチに立って何をして、自分がどんなスパイクを履いて、何色のユニフォームを着てというのが全部私の中で明確にあったのですね。てことはもう(ピッチに)立つものだなと、夢というか未来の想像なのですね。夢というか目標に変わっているというか。こうなるためには、今何をしなければならない、じゃあ結果としてまずはプロにならなければいけないとか。もっと細かなところでいえば選抜に選ばれなければいけないとか、県の国体選手に選ばれなければいけないとか、いろんなビジョンを何十項目と自分で書き出して、上手くなるためには練習しなければいけないよねっていう逆算だったのですよね。夢があるっていうのがすべてでした。

小村:夢を現実にするためには、未来を想像することが大事ということですね。これは子供のころから思い続ける心も大切ということでしょうか。

藤田:そうです。今、自分も子供たちを教える立場にあり実行していますが、色んな機会を与えてあげてほしいと思っています。子供だからこその体験。例えばプロチームの練習を見に行くとか。子供たち本人が行きたいというものには基本頑張って実現させてあげてほしいと思います。リアルな現場で、その現場にいる人、関わる人達と接点を持たせてあげてほしいなと思います。そこから「ああいう選手になりたい」とか。例えば「メッシになりたい」と思うなら、極端ですけどメッシに会いに行けばいいと思うのです。そしたらその風景というのは、何よりもテレビで見ているよりも百倍重要なことだと思うのです。

小村:百分一見にしかずですね。それにしても、藤田さんは子供のようにキラキラした目で話をされますが、よく言われる所以みたいなものはありますか。

藤田:よく外見はおっさんだけど子供みたいと言われます。私は仕事をしていないのです。私には「仕事」という概念が無くて、今は自分で起業をしてビジネスをやっていますけど、自分でつまんないなと思うことや、やっていてストレスがかかると思った瞬間、どんなに儲かっていてもすぐに辞めます。お金にならなくても、例え赤字でもトータルで自分が黒字であってその給料が1万円でも5千円でも、100万円でも、月の給料が1000万円でも自分の楽しいことしかやらないです。

小村:サッカー選手時代から実業家になられた現在まで、お金に踊らされない己のスタンスなのですね。とは言っても、どうしても利益を追求しがちになってしまうと思いますが、そこを追求せずに自分の楽しさを追求するのには理由があるのですか。

藤田:「楽しくないことをやっていてもつまらない」という視点が私にはあります。サッカーをやっている人は「サッカーが楽しい」と思っていると思うのですが、それでさらにお金がもらえるのだとすれば幸せだと思います。でも仮にサッカーが好きな人に別のスポーツをやれと言われたときに、「でもサッカーをやりたいな」と思って苦痛になると思うのです。それと一緒だと思うのです。

小村:単純にやりたいことをやるといったことですね。どうしてもバランスを取ってしまうと思うのですよね。楽しいこともやりつつ利益も追求してといった風に。

藤田:そのバランスを取らなければと思う怖さって、たぶんお金がなくなる怖さじゃないかと思うのです。私にも実はありました。サッカー選手を引退し、Jリーグのセカンドキャリアを通して入社した保険会社時代の話しです。

■22歳で実業家への転身

小村:22歳でサッカー選手を引退することを決意し、Jリーグのセカンドキャリアを通して、保険会社に入社しましたが、長続きしなかったと・・・。

藤田:先月までサッカー選手としてサインくださいと言われていた人が、次の月には保険の営業に行くわけです。訪問をしても「来んじゃねえよ」と塩を撒かれるのですよ。自分の生きる意味の無さ、人の役に立っていない感がすごかったのですよ。もう六本木ヒルズから落ちたぐらいの格差だったですね。お金のために仕事はしましたが、「人の役に立ってないなぁ」って思い、ずっと錦糸町の公園でこの先、自分どうするのだろうと考えていたのです。

小村:選手のセカンドキャリアでの大きな問題は自身の強みであった目的がなくなってしまい、路頭に迷ってしまうことが多いですね。藤田さんもとりあえずサラリーマンになってはみたものの、その中で目的が見つけられずに苦しんでいたのですね。起業する転機は何だったのでしょうか。

藤田:錦糸町の公園で途方に暮れていた時に、たまたま汚いTシャツで、汚いボロボロのサンダルを履いたおじさんが僕の前を通りがかり、「お兄ちゃん何しているんだ?」と声をかけられたのです。見るからにホームレスの人のようで正直「(うわっまた絡まれたよ~)」と思いました。「(何でこんな人に絡まれるのだろう)」と思いながら、「今保険の営業をしていて、人生に悩んでいるんですよ」とその人に悩みを相談したのですね(笑) そしたら、「じゃあウチに来いよ」と言われました。「(家あるんだ)」みたいな感じだったんですけど(笑) ついて行ったら大豪邸だったのです。その人は長野オリンピックなどのポスターを描く画家だったのです。青山の一等地に自宅があり、アトリエが錦糸町だったのです。その後、保険にも入っていただき、銀座三越の展覧会にも招待されました。行ったら一枚300万とかするのです。桁を何回も数えましたよ。その画家とは今でも交流させてもらっています。

小村:この画家との出会いが、その後の藤田さんの生き方の羅針盤になるのですね。

藤田:出会えたことがラッキーでした。そんなことがあって結局、会社では私を数字でしか見ないのです。私が仕事中に椅子で伸びをしたら上司から「伸びしている時間があるなら電話をかけろ」と言われたのです。私はその瞬間に「ああ、もうこういう世界では人として扱われないのだな」と思い会社を辞めました。在職期間は1年間でした。

小村:2005年に引退され、一年間保険の営業マンを勤めていらっしゃったわけですが、働きながらも次の動きを模索されていましたね。ちょうどその頃に私は藤田さんと再会したと記憶しています。

藤田:引退して以降は、楽しみが無くなってしまいました。サッカーはもう辞めよう、サッカー界から離れようと思い保険の営業マンをやっていましたが、画家との出会いから「俺に出来ることは何か」を考え始めました。やはり『社会貢献としてサッカーを教えること』だと思ったのです。それからは営業マンしながら週末に子供たちにサッカーを教え始めました。教え始めた頃にたまたま、アントラーズから「Jリーガーの今」みたいな取材をさせてもらいたいとNHKからドキュメントの取材が入りました。その時に小村さんに撮影協力をお願いしましたね。

小村:そうでした。教室と学生たちを集めて、せっかくだから藤田さんのセミナーをやってもらいつつ、その風景を撮影してもらいましたね。あの時、参加していた教え子で今スポーツ業界人になっている子もいますよ。引退した翌年は保険の仕事をしながらサッカー教室を同時に行っていたのですね。

藤田:はい。保険の営業マンは時間が自由なので、土日に無料のサッカー教室を実施し、平日は営業しながらサッカー教室のチラシを配っていました。6000枚配布したら1人集まったのです。その1人の子に3か月間無償で教えていたら、その子が通っている小学校のPTA会議で親御さんたちにビラを渡せることになりました。一人2000円払うので1時間子供を貸してくださいって親御さんにビラを渡し10人賛同いただきました。10人の子供を借りて2万円分の図書カードを親御さんに渡して公園でデモスクールをやったのです。そしたら、それが当たっちゃって。「あの先生いいよ」って、そのお母さんがフィルターになって声がけしてくれて、あっという間に36人集まったのです。これがオブリガードサッカースクールのスタートでした。

小村:元サッカー選手のサッカー教室なのに、お金を払ってもらって参加させるではなく、自らお金を払って参加者を募るという、そのスタートの発想が普通じゃないやり方ですね。その後、どんどん拡大していきましたね。

藤田:スタートが出きたことでメディアに繋がったのが大きかったです。先ほどの小村さんと再会し協力していただいたNHKの出演がきっかけで、今度は出版会社から電話がかかってきて「DVD作りませんか」ときました。ホントにラッキーでした。私のサッカースクールではサッカーボールを使わない指導をしています。テニスボールとか風船とかラグビーボールとか、色んなボールで代用し、最後のゲームだけはサッカーのボールを使っていました。そのDVDもサッカーボールを一切使わないサッカー指導DVDで作ったのですが売れたのですよ。たくさんの方々に観ていただいて、そして色々な場所でサッカースクールを開校してもらいたいというオファーが殺到しました。経営者になるなんて思ってなかったし、なろうとも思ってなかったのですけど、私の身体は一つしかないので週7日間、すなわち7校しか作れないわけです。それでも間に合わず、そこで初めてサッカースクールを運営できる経営者を雇うことになりました。

小村:10年経った現在は何校のスクール事業を展開しているのですか?

藤田:今は36校もできました。海外にも8拠点あります。経営者を雇ってここに配置してという経営業ですね。今振り返ると、私の中ではロールプレイングゲームをやっているような感じです。ここに人を当てはめて、そうすれば子供もちゃんと成長してくれる。レベルアップするには誰に行ってもらおうかというゲーム感覚です。サッカーが上手くなり、信頼があれば途中で辞めないとか、当てはめゲームなのですね。そういうビジネスを知って、自分は極力そこからフェードアウトしていき、上手く教えられるコーチの育成へとシフトしていったのです。それが10年経った今でも継続しているのです。

小村:先ほどボールを使わない指導法の話もありましたが、世の中、サッカースクールがたくさんある中で、オブリガードサッカースクールは何で人気なのでしょうかね。例えば、子供はリフティングが苦手な子が多いと思いますが、どのような指導で克服されているのですか。

藤田:リフティングが嫌いという子供は多いですね。まずはそのような子がいたら私はリフティングをやらなくてもよいと言います。そして、リフティングを好きにならせるようなカリキュラムを作っていきます。それが風船を使用するなど、ゲーム性を加えていく方法として取り組ませます。私たちの子供たちの指導に関しては、「オブリノート」というのを作っています。それこそリフティングが好きな子っていないんですね。リフティングが100回出来るまでに大体100項目ぐらいの項目を作っています。リフティングだけじゃないですけど、気が付いたら出来たっていう教え方が好きなのですね。「あれっ気づいたら100回出来ていた」みたいな指導法です。このように教えることができることこそに指導者の価値があると思っています。

小村:なるほど。人気の秘密がわかる気がします。

■「0から1をつくる」

小村:藤田さんはサッカースクール事業だけではなく、その他にも数多くのビジネスを展開されていますが、具体的に何をやられているのか教えていただけますか。

藤田:今は結果的に10のビジネスに携わっています。ただし仕事はしているのですが、すべて自分が先頭で走っていないです。私は「0から1」をつくるのが好きなのです。0から1を作ったら、それをやりたいと思う人にバトンタッチをして、その売り上げの一割とか二割をロイヤリティとして貰うことをしています。私よりもそのビジネスを引っ張っている人に稼いでもらっています。私にはインカムが10個あるという働き方をしているので、みんながハッピーになるような仕組みを作っています。

小村:いわゆる起ち上げをメインにやられるということですね。

藤田:そうです。ただしこういう事例はやらないです。例えば、サッカー選手に多いのですが、引退してお金があるので居酒屋やりますとか、焼肉屋やりますとか相談されます。私はそういうビジネスは一切やらずに、最初に起ち上げたオブリガードサッカースクールに関連したビジネスや、自分がやりたいというビジネスしかやりません。私がやって楽しいこと、そしてやらなければいけないこと、人の為になること、というものをトータルでやっています。

小村:なるほど。具体的にどのようなビジネスを展開されているのですか。

藤田:サッカースクールを起ち上げ国内で軌道に乗った後は、海外でスクール展開をしてみたいと思ったのです。海外の子供たちにサッカーを教えてみたいという目標が生まれました。視察も兼ねて海外に一人旅をしました。上海、台湾、韓国、インドネシア、中国など。海外に行くときに私はパスポートと財布とサッカーボールしか持っていかないのです。世界ではどこでもサッカーをやっています。公園に行けば子供や大人がどこでもやっていて、サッカーをやれる格好で行けば混ぜてもらえるのです。そこには言葉はいりません。結果的に8か国でサッカースクールビジネスを展開していますが、私は英語が喋れません。契約の時だけ通訳を付けますけど、あとは何も付けず、単語を並べて喋れる風なだけです。

小村:どのように交渉してその土地にサッカースクールをつくっていかれたのですか。

藤田:先にも述べたようにサッカーを一緒にやると仲良くなれるのです。身振り手振りと単語を並べて、私はこんなビジョンがあってこういう夢を持っていると語り、例えば上海という国で、町でサッカー教室をやりたい、子供たちにサッカーを教えたいと訴えます。そうするとサッカーチームを紹介してくれて、私は日本式のサッカースクールを教えたい、作りたいというと色んな人達を紹介してくれて、気づいたらビジネスになっていっちゃうのですね。それも日本式という、コーチを育てるという部分に特化してもらって、私たちのスクールの名前を使ってもらって、フランチャイズ化をしていくイメージです。そこで日本にマージンを持ってくるというようなビジネスをしています。今、中国は1400人ぐらい生徒がいます。8か国とも全部自分が旅をして、すべて同じ方法で開拓していったのですよ。

小村:発展途上国が多いと思うのですが、トラブルとかはなかったのですか。

藤田:韓国に行った時に、いつも通り、財布とパスポートとボールのみで向かったのですが、ホテルのロビーで財布を盗まれちゃったのですね。しかし、私は無一文になったそこから帰国最終日には焼肉を食べる程までに持ち直したのです。財布盗まれて無一文になってしまったら、どうしますか?

小村:カードを止めて、日本大使館に連絡をするとかですよね。

藤田:私はビジネスしちゃったのです。同じホテルに日本人留学生がいたので彼に通訳を頼み、近くの市場に行きました。そこを視察すると辛い物を中心に売っていたので、お客は甘い物が欲しくなると思いました。そこで別の市場に行ってパイナップルを仕入れ、氷を入れて商売をしようと思ったのです。何でパイナップルかというと最悪売れ残ったとしても自分で食べられるからですね。日本人留学生から倍にして返すと言ってお金を借りて大量にパイナップルを仕入れ、辛い物中心の市場で商売したら予想に反して全く売れなかったのです。そこで私自身が売るのではなく、市場でお店をしていたおばちゃんに分け前を上げるからパイナップルを売ってくれないかとお願いしたら、そこからガンガン売れ始めました。売れたお金でまた仕入れを繰り返していたら盗まれたお金よりも儲けてしまいました。最終日にはその留学生と手伝ってくれたおばちゃんと焼肉を食べて帰国しました。話にはオチがあって、再び韓国のその地に何年か経って行ったら、そのおばちゃんがパイナップルを売っていたんですよ(笑)

小村:藤田さんはどんな時でも常に未来志向ですね。その他、起ち上げたビジネスもそういう楽しい気持ちでやっていったのでしょうか。

藤田:そうですね。海外に月3回くらいのペースで行っていたのですが、それぐらいやっていると今度は旅行会社が欲しいなと思っちゃいました。旅行業はどうやってビジネスになるかなという思いから旅行会社をつくりました。

小村:自分が頻繁に活用するという流れで旅行会社を起ち上げてしまったのですね。次はどんな会社を起ち上げたのですか。

藤田:保険です。サッカースクールは怪我をしてしまった時のために毎年保険に入ります。例えば1000人いると、1000人分の名前と学年を書いて提出するのです。たくさんいるので子供の名前を間違えてしまうこともありました。そしたらたまたま間違えて名前を提出していた子が怪我をしてしまいました。そしたら怪我をしたのに保険が降りなかったのです。万が一のためにお金を払っているにも関わらず、こういうことがあると安心できません。こちらが不安になるのはおかしい。そこで、子供個々ではなく、スクールやチーム単位でそこに入っている子が全員対象になるようなスポーツ保険はないものかと探したのですが無く、これは作るしかないと(笑)

小村:藤田さんは選手引退後に保険の営業マンもしていましたから、そこは得意だったのではないでしょうか。

藤田:保険会社に働いていたのですが保険のことを何もわかっていなかったと痛感しました。当時は自分の売りたい商品だけを知って売りまくるっていう営業でしたので、全体的な保険のことを全く知らず、そもそも保険の重要性に気づいたのもこの時でした。スポーツ保険を作りたく、日本にある78社の保険会社に全部電話をしましたが全部断られたのですよ。「そんなただのサッカーコーチが何を言っているんだ」とね。そこで知り合いを通じて、保険で有名な方と手を組んで再アプローチをしたところ、エース保険が協力していただけることになり、年間800円くらいの子供スポーツの新しい保険を一緒に作ってしまいました。今はそれが5万人とか6万人が加入していただけています。

小村:そのスポーツ保険の総会にお声がけいただき参加させてもらいましたが、本当にそのアクティブな動きはすごいですね。まだ起ち上げていきますよね。

藤田:今度は私の悩み。自分のサッカースクールが結構大きくなってきてしまって、一番困るのは生徒集めよりも「人」なんですね、ビジネスの視点で見ると「人」に困りました。良いコーチと出会うっていうのは、ラーメン屋で例えるとおいしいスープと一緒なのです。このスープおいしいよねっていうところにお客さんが来ると思います。それと同じでここのサッカースクールのコーチ良いよねっていうところにお客さんが来るのです。ということは、良い指導者と出会い受け入れるには寮が必要だと、社宅が必要だと思いました。そこで今流行りのシェアハウスをやり始めたのですよ。コーチを呼ぶだけじゃなく誰でも住めるシェアハウス、夢を持った人が集まってくるシェアハウスっていうのを作って、今4店舗経営しています。そのシェアハウスがあることによって、九州や北海道から良い指導者が集まりサッカー教室も良い循環が回る仕組みとなりました。今自分がやっていることって関連しているのですよね。結局関連していないことはやっていないのですね。

小村:確かにサッカースクールを起点に良くするためにはという形で広げていっていますね。次に何を手掛けていったのでしょうか。

藤田:次のビジネスはサッカースクールの指導者は賃金が安く、それだけでは食べていけないので、サッカー以外でも生活のために少しでもお金を得ることを考えました。できれば楽しくですね。私たちのサッカースクールは平日開催が主ですので、土日は時間があります。これも時流に乗った形ですが、土日に何かできることはないかと考え、「街コンだ」と思ったんですね(笑) 「しかもみんな独身だよね、君たち!」って思って。女の子とも出会えるし、そして楽しいし人の前で喋る機会もあるし、そしてお金も稼げるしこれは街コンだと思ったのです。そこで街コン会社を起ち上げました。街コンを今で月間80本ぐらいやっています。フットサルコンとかランニングコンとか色んな出会いの場を提供しています。これを始めたことで、土日はスタッフやコーチがそこで働けるようになり、給料を上げてあげられる仕組みが作れました。これは本当に楽しく仕事ができます。

小村:街コンを企画するビジネスもやっているのには驚きですね。様々なビジネス展開をされていますが、これから構想しているビジネスはあるのですか。

藤田:あります。街コンからの繋がるアイデアです。街コンは例えば立川市で10店舗借りて男女200対200でやるといったイメージです。都内で実施すると毎回お世話になっていた店舗が閉店していることがかなりあるのです。特に表参道とか銀座とか、そういう一等地のところは多いです。3か月ごとにやっていても10店舗中2店舗潰れてしまう。そうするとまたこちらも営業をしないといけない。そこで、何で潰れてしまうのかを知るために、各店舗の店長に聞いて回ったら飲食業界で働いてくれる人がいないということを多く耳にしました。バイトも見つからないとのことです。そうなると店長が週7日休みなく出勤し頑張っているということになり、新しい季節の料理も開発もできず、同じものの提供となり悪循環となる。お客さんは来るのにお客さんが離れて行ってしまうというのが、飲食業界の悩みだったのです。

小村:確かに人材不足の話はよく聞きます。

藤田:そこで発案したのが、飲食業界で人材がいなくても成り立つ仕組み「居酒屋を機械化」しようという今までやったことのないモノづくりにチャレンジしています。簡単に言うとコインをいれてガチャガチャを回すとお酒が出てくるっていうただそれだけの機械なのですね。これ意外にありそうでないですよね。コイン式のお酒の販売機で、これを今、東洋大学とコラボして作っています。モノづくり補助金というものも100%取ることができました。

小村:ついに開発まで手掛けてしまっているのですね。このコイン式お酒販売機のビジネス展開モデルなども構想されているのですか。

藤田:はい。2017年1月9日から私はハワイに移住しようと思い市民権を取得しました。ハワイに行った時にここに常々住みたいと思ったので家族と移住します。ゆっくりする予定でしたが、今作っているコインを入れてタッチパネルがあって、お酒が出てくるガチャガチャがあり、そこにエンターテインメント性を加えた販売機、これをハワイ発信でまずはハワイから広げていこうと思っています。ハワイのメーカーの買収も完了しました。ここのメーカー発信で展開していく予定です。

■「お金を借りない」が鉄則

小村:ハワイに移住して今度はハワイでチャレンジしていくのですね。そのアクティブすぎる動きはすごいですね。その秘訣やビジネスをする上で決めていることなどはあるのでしょうか。

藤田:人と違うのはすぐ動きます。ダメだったらすぐに辞めます。私はビジネスをやるにあたって一つだけ約束事があります。「投資はしない」ということです。お金がかかることはしないということです。借金してまでビジネスをする人がいますが、私は絶対にしないとしています。自分の器が、例えば自分は100万円の貯金があります。それは自分の器は100万円なわけですね。100万円以上のものをやると溢れて自分の手に負えなくなってしまうというのが私の持論なのです。保険も旅行会社の起ち上げもそうでした。旅行会社は東京都に預け入れるお金が結構高く7000万円ぐらいします。その7000万円を東京都に預け入れたら旅行業というのが発行されます。そのお金をつくり預けるのは大変でした。私の貯金を全部切り崩して頑張ったという感じです。でもそれはやめれば戻ってくるものなので、投資とは思っていません。「お金を借りない」そこが私の鉄則です。

小村:様々なビジネスを手掛けていますが、何かを辞める時も自分の中でルールは作られているのですか

藤田:辞める時のルールはないのですが、「これをやっていたら、自分を含め誰かが不幸になると思った時」か「誰かがハッピーではない」ものはすぐ辞めようと思いますね。お金のことを考えるとこれは儲かるからやっていた方が良いというのはあるのですけど、ハッピーでないものは続けません。あとは自分が楽しくないとか、これをやっていて気を使うなと思ったら辞めます。

小村:チャレンジをする時にはルールはあるのですか。

藤田:そこにはルールがあって、自分一人では何も始めないのです。先ほどお伝えしたように僕は「0→1」が好きなのです。何かのスタートアップがすごく好きで得意ですね。逆に1→10は得意ではないのです。自分より優れている人は山ほどいます。例えばコップを中国から輸入して10円で仕入れて100円で売れるとしましょう。私はこのビジネスをやろうと思っても一人では始めないのです。小村さんが物販を販売したいと思っている人だとしたら、一緒にやりましょうとなって、一緒に海外に行って仕入れて、これ売れると思ったら一緒にやって、作り上げたら渡すという感じのビジネスです。私はそのようなスタンスです。今回のモノづくりも飲食店をこれから経営していきたいという人がいて、じゃあ一緒に作りましょうって言って、もう作ったら僕はここから離れていきます。

小村:起ち上げ人みたな存在ですね。離れると言っても起ち上げたパートナーからのフィードバックというのはありますよね。

藤田:最初の契約時点でフィードバックはするようにしてもらっています。毎日、毎月人によるのですが、報告書というのはあります。そしてちょっと傾いてきたなというのがあれば、自分なりにこうしたほうがいいのではないかというアドバイスをさせてもらうという風にしています。

小村:成功事例の話が続きましたが、この10年間で失敗というのも経験されてきたのではないでしょうか。

藤田:失敗だらけです(笑) 今私が関わっている仕事は10あります。聞こえはすごく良いと思いますが、私がチャレンジしてきたのはたぶん40くらいあります。うまくいかないことが殆どです。ただ私はリスクを取らず、0円から始めるビジネスです。初期投資でかかってもコピー代とか1,2万円くらいです。私がこのビジネスはいけると思わなかった事例もあります。例えばペット事業をやりましょうと誘われ、あまりの乗り気がなかったのですが、ペットビジネスをやりたいという人のお蔭でペットについて知れる機会だからと思って始めました。結局、私自身あまり興味がないことは上手くいかないと感じました。

小村:一番失敗してしまったことは何でしょうか。

藤田:私の一番の失敗は、当時東京大学でサッカー部のコーチを依頼され教えていました。選手たちは東大生なので、何か面白いことをやりたいと思いました。東大生の選手たちは給料が良い家庭教師のバイトを探しており、彼らの紹介ビジネスをしようと思いました。そこで、全国展開している有名な学習塾に交渉をしようと思い、ノーアポで社長に会いたいとTシャツとサンダルで訪問しに行ったのです。そしたらもちろん門前払いされました。私も若かったのですが、社長に会って交渉するという気持ちで、当時貯金通帳にあった300万円を現金で全部引き出してきて、これで会わせてくださいと受付で懇願したのです。そしたらその300万円に受付の人が驚いて、結果的に社長にお会いすることができました。

小村:すごい熱意の見せ方ですね。

藤田:会わせてもらって「この300万円全部お渡しするので、今、東大で私はサッカーコーチをやっているんですけど、バイトの派遣の紹介業をやらせてほしい」と言ったのです。そしたら「いいよ」と。一人紹介すると15万円もらえるという契約ができたのです。しかし、社長に会うためにハッたり効かせて持って行った300万円を本当に持っていかれちゃったのですね(笑) 私の中では見せ金だったのですが「それじゃこれは受け取っておくね」って。貯金ゼロで一文無しになりました(笑) その後、そのビジネスを頑張り、10人くらい紹介して150万くらい得たのですけど赤字という大失敗事例ですね。それも含めて勉強だったかなと思います。

■ホームレスを経験したら怖い物がなくなった

小村:藤田さんの人生がエネルギーを持ってチャレンジしていく一種の賭け事のような姿勢ですね。その原動力は何でしょうか。

藤田:私は一回ホームレスになってみようと思った時があったのですよ。私はお金が無くなることがすごく怖くて、ならば逆に一回無くなってみようと。ホームレスのおじちゃんにお願いして3日間泊めてもらえませんかって交渉して、実際3日間滞在してきました。この3日間は忘れることができないくらいの最高な経験だったのです。予想外にそのおじちゃんのテント内には扇風機はある、TVは付く、お湯も沸かせるのですよ。そしてカップラーメンをごちそうになりました。ダンボールやテントの中も、人が居住できる空間があり、彼らなりに夢があって、彼らなりにこうなった経緯もあって、すごく仲良くなって。この経験をして以降、私はお金が無くなる恐怖というのがないのです。将来はホームレスでも悪くないし、この世界も楽しいなと思える自分があるのです。人として扱われなかったサラリーマンよりは良いと思っている自分がいるのです。

小村:お金が無くなるかもしれない、上手くいかなかったらどうしようという不安や恐怖を払しょくする最高なリスクヘッジ。そういうセルフマネジメントがあるのですね。振り返れば、藤田さんは昔から熱いですよね。何をするにも全力でぶつかっている。

藤田:何かのトップに立っている方って熱い方が多くて、人を経歴で見ないのですね。私は高卒なので。熱い思いでぶつかれば、みんな答えてくれる人が多いです。熱く行くが持論なのです。

小村:「熱く行く持論」を体感して確証を得た経験があったのでしょうか。

藤田:田園調布で実際に行った話です。私は田園調布でしたが、立川でも構いません。サッカースクールのチラシを駅の周辺のお店100か所に無料でただ単に貼ってくださいとお願いしたら、どのくらいの確率でチラシを貼ってもらえると思いますか?

小村:2割程度でしょうか。

藤田:実際に私がお願いしてまわったら8割のお店に貼っていただけました。田園調布がチラシだらけになってしまったのですね。私は100店舗あれば100店舗貼っていただくという気持ちで臨みました。どうせ断られるだろうという気持ちでチラシを持っていく人と、本気で全部貼ってもらうと持っていく人とでは全然違うのです。

小村:なるほど。

藤田:実はチラシにも色んなヒントが隠されているのです。私が一番こだわったのは「ここの小学校でやっている」とうオフィシャルな感じを見せることでした。小学校でなく、フットサル場でやっているのであれば、確かに5割弱しか貼ってくれなかったかもしれません。民間のいわゆるビジネスをしているのだなと思われると貼ってくれないところも多くなります。私は田園調布にある小学校を使わせてもらい、小学校で活動しているということを強調して貼ってもらうお願いをしました。例えばビジネスであったとしてもビジネス感が無いように聴こえませんか。ですから私はサッカー教室とは言いません。「田園調布小学校でサッカーを教えている団体なのですが、よかったら田園調布の子供達にお知らせしたいので貼っていただけますか?」と言ってお願いをしてまわったら8割貼ってもらえました。貼ってもらうのが大人の主観の感覚値的に1,2割というイメージを持ってしまいがちですが、私は100%貼ってもらうという思いだったのです。逆に2割も貼ってもらえなかったと思っているくらいです。そこが貼ってもらえるかどうかの大きな差なのかと思います。

小村:何かのゴール設定(目標設定)にはそこに情動(気持ち)が伴わなければ言霊にもなりませんし、相手のハートにも届きませんからね。チラシを貼ってもらうという行為にも熱い意図を落とし込んで行動する大事さですね。こういうことも含め、ビジネス上で大事にされていることはありますか。

藤田:自分の人生なので自分の好きなようにやっていくことを突き詰めていった時に、今は人との信頼関係が大事だと思います。例えば自分もサッカー教室の面接をしていた時は、応募されて約束したとしても12、3人は来ないのです。でも自分もそういうことをしていたと思い、そこで改めて学んだ感じですね。今は人との信頼関係を一番重要視しています。

小村:その重要性を感じてくれたのですね。今日、藤田さんとは10年ぶりに話をさせてもらっていますが、なぜ10年もブランクが出来てしまったのか。藤田さんは忘れていらっしゃるかもしれませんが、私は二回藤田さんに約束をすっぽかされたのですよ。一度目はメンタルトレーナー時代、二度目はオブリガードを起ち上げられた時。大事な人と会わせるための約束の場にその人と待っていても来ない。電話をしても繋がらない。その日の夜に体調を崩していましたと。あの時、ものすごく怒ったと記憶いています。今では懐かしい想い出ですけどもね。

藤田:本当に申し訳ございませんでした。

小村:いえいえ、10年前は尖がったエネルギーを出していたのに、今は覚りを開いているような穏やかな後光になってしまいましたね(笑)

■藤田豊から、未来をつくる皆様へ、熱いメッセージ

小村:何かを目指している人、夢を実現したいと思っている人たちにメッセージをお願いします。

藤田:私は中学二年生の時にフランスワールドカップのボールボーイを経験し、帰国して以降、早くプロサッカー選手になりたくて興奮して夜も眠れない状態が続いていたのです。眠れないから夜中から筋トレしていました。プロになったら何色のシューズを履こうとかそこまで決めていました。もっと自分が目指す夢に対して掘り下げてほしいです。どうしたらサッカーがうまくなるのか。どのチームに入りたいのか。例えばバルセロナに入りたいなら、世界中にそこに入りたい人がいっぱいいる中で、私は一番思いの強い人が勝てると思っています。リアルに考えて動いているかだと思います。

小村:藤田さんにとってのターニングポイントはフランスワールドカップのボールボーイになり「プロ選手」という目標ができたからでしょうか。

藤田:実はそこよりも、日本に帰ってきた後に自分で行動が出来たことだと思います。社会人のチームに「自分で」電話をしたのが全てだと思うのです。自分で電話をするなり、手紙を書くなり、メールをしたりして自分の思いを外に発しない限りは、自分の中でしか消化できないので自分が高まっていかないのです。それを発信したところで断られるのが一般的でもありますが、断られた後のそこからがその人の価値なのではないかと思います。見てくれる人は見てくれます。断られてもサッカーボールを持って練習グラウンドに行ったら「じゃあ1回ぐらい入ってみれば」とチャンスがくるのです。そのチャンスをもらった時にどれだけの準備をしているか、実力を発揮できるかだと思うのです。それが思いの部分とリアルな実力の部分を向上させていくという両面だと思います。

小村:夢を決めた後、どう行動に移すかですね。また断られた後、どうするか。目の前の壁をどう乗り越えていくか。ここにその人の価値が出るわけですね。

藤田:私はプロになりたいと思った時、当時のサッカー部の女性顧問に笑われたのです。「じゃあお前は選抜に入っているのか」と笑われたのですよ。もちろん周囲はサッカーが上手い人ばかりです。そういう人たちが私の夢の思いを邪魔してくる人がたくさん出てきました。ただ、私は唯一、ひとつだけ負けなかったのは「プロになる」という思いだけでした。

小村:身近にいる人ほど自分のためを思ってドリームキラーになる人はいますね。そこを突破するにはそれをも打ち破る熱い気持ちしかありませんね。

藤田:親が何か言ったとしてもプロになっている人は跳ね返していますね。勉強しなさいといわれても「俺は勉強しないよ!」と跳ね返す子もいれば、サッカーをやるために勉強しなければいけないなら、勉強をとことんやってからはサッカーしようとか。何か自分なりに跳ね返しているはずなのです。それぐらいのメンタリティじゃないとプロに行って戦えないのですよ。今の日本代表クラスの選手の親御さんはみんな自由にやらせてくれる親が多いようです。ただし自分で全て道を作っていける子ばかりではないです。言われてやっている子はたぶんですけど途中で終わります。そこは一番難しいですね、指導者として私もいつも悩んでいます。

小村:受け身ではなく、自発的な子がサッカーだけでなく、様々な分野に取り組む姿勢は大切ですね。最後に藤田さんの熱いハートをください。

藤田:私は「人からの目」というのはどうでもよくて、例えば1億人が敵でも100人仲間がいれば良いというスタンスです。そして、どんなに条件が良くても、自分が嫌なことをやっていても結局辞めてしまいます。やりたいことをとことん極めていってください。
<後編・了>

◆プロフィール◆
fujita04
藤田豊(ふじた・ゆたか)
NPO法人オブリガードサッカークラブ代表。小学校3年生からサッカーを始め、茨城県豊浦中学校サッカーう主将を経て、鹿島アントラーズユースに入団。17歳でプロ2種登録で鹿島アントラーズとプロ契約。2003年ザスパ草津に移籍。2004年ブラジルのプロチーム CFZ do RIO にレンタル移籍。2005年ザスパ草津に復帰し、この年を最後に現役を引退。現在は3歳から12歳までの子供たちのためのサッカースクール「オブリガードサッカースクール」の運営を含め10社の会社を起業している実業家として活躍中。日本サッカー協会C級ライセンス取得。

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